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アオさん (76t63skx)2019/7/29 01:33 (No.18861)削除定規を弾く音、電話機のボタンを押した時の軽快なピポパポという電子音、眠くなって布団を被ってその中で気持ち良くごそごそする音。その全てが自分にとっては“音楽”だった。強いものにも、弱いものにも、何にでも。私の世界には“音楽”が溢れていて、その時からもしかしたら私の世界は怪異でいっぱいだったのかもしれない。
……なんて、ちょっと格好をつけ過ぎかもしれない。私は疲れて机に突っ伏しながら、自分の独白を気持ち悪く思って頭を抱えてしまう。でも、誰にでもあるだろう?自分の中の考えを誰かに語りかけるようにしながら整理すること。……もしかして、無いのだろうか?まぁそんなこと、どちらでもいい。
兎に角、私は楽器を見つけることが好きだった。皆にだって好きな音があると思うし、最近で言えば音フェチ動画なんてのもある。サクサク、カリカリ、パチリ、トトトト。そんな些細で日常的な音が好きで、それに自分の想いを沢山詰め込んで世界へとバラ撒きたかった。沢山の日常に乗せて、何処にでもあるありふれた悩みを。それに対する、私なりの答えを。
でもダメだった。私はそれをするにはあまりにも才能がなく、弱く、ちっぽけで。日常的な存在ですらなく、それ以下の弱者だった。自分の歌が想いを綴った便箋であるならば、それを封筒に入れたとてポストが見つからなかったということだ。切手を買う金がなくて、何処にも送れなかったというのもありかもしれない。
「それでも……それでも、私は、したくて」
想いを伝えたかった。些細で日常的じゃないかもしれない、それ以下かもしれないけれど、ただの弱者である私の苦しみの咆哮と親愛の感情を誰かに聴いて欲しかった。もやりとする悩み、どうせ誰にも深刻視はされないであろう感情、諦めと希望とその他諸々。辛いけれど、世界的に言えば救われる程でもない悩みを一つだけでも、私が解決したかった。あなたは一人じゃないのだと言いたかった。
無理だったのだけど。
「……無理だったんだよな」
そもそも弱者に権利はない。仕方ない、弱肉強食の世界なのだから。況してや音楽なんて、才能の世界だから。私はパソコンを弄る手を止めて、凝った肩を回しながらも溜め息を吐くことになる。無理だったことを思い出せば思い出す程に、この指は重くなる。何度も何度も同じフレーズを聴くのにも飽き飽きしてきて、自分が嫌になってくる。
それでもフレーズを、メロディを、リズムを刻み続けては繰り返す。ずっと閉鎖した中で繰り返していたそれを、気持ち悪さと一緒に吐き出そうとする。少し無理矢理だけど、それでも今、私は他人に想いを伝えたいと久しぶりに考えたのだ。その想いが、努力の結晶が世界を変えるのではないかと、期待をしてしまっていた。
苦しくても何かを精一杯自分の中から引きずり出そうとしていたのはあの頃のようだ。何処かにいる筈の誰かに、自分の想いを伝える為に日々自分と向き合っては、自分自身に嫌になりながらも自分が好きで、自分の歌が好きだったから創作に打ち込んでいたんだ。
今も、きっとそうなんだ。今は何処かにいる誰かじゃなくて、ちゃんと目の前にいた知っている誰かに対してだが、きっと何かを伝えたいのと自分が好きだからこそこうして指を動かしていた。そうじゃないとこんなことはしない筈だと、私は私のことをよく知っているつもりだ。こんなに手が動いて胸が苦しくなっていくのは、私が凄く私と向き合えているのだ。
「それだけ……君に伝えたいことがあるんだ」
今はいない君に向けて、私は独りで呟いた。それは私の扉を少しだけ開いてくれた君に対しての言葉。君に伝えたい言葉。私はまたあの出来事を思い出しては、少し照れ臭くなりつつもまた書き連ねていく。突き進むようにして、音は折り重ねられて完成に近づいていく。
もうすぐ、私はまた誰かを繋ぎ止められる歌をこの手で書ける。
そして今度は郵便なんかに任せずとも、手渡ししてやるのだ。伝えたい誰かに対して、これが私の想いなのだと。弱者にだって、無能にだって、もしかしたら叶えられるかもしれない一つの悩み。そのチャンスを絶対に手放したくはなかった。
否、手放さないように頑張るんだ。今、此処で、私が。
舞い散った後の華:第一幕「日常、想い、音楽」